そしてまた、2年が経った。
僕は21歳、マキハは23歳、キワタは3歳になった。
あれから僕たち家族の関係は破綻した。僕がおかした過ちだからと家はマキハとキワタに譲ることとして、それからは適当に作った小さな家に住んでいる。独りで作って貪る食事はなんだとポツンとしていて、意味もないのによく涙が滴っていた。
最初のほうはまあいっかなんては思えるはずもなく、毎晩毎晩、仕事が終わってはマキハ家の玄関で頭をさげ、許しが欲しいとすがっていた。始めは扉を開けて「そんなことはやめてくれ」と言ってからの知らんぷりだったが、そのうち顔をおがめることに味をしめていると悟ったのか、顔さえ見せてもくれなくなる。こうした情けのないポーズを繰り返していたら村でもことの噂が蔓延り始め、評判が悪くなるばかりで見向きもされないことにすっかりむなしくなり、そのうちにやめてしまった。
横にいて当たり前だった時は、当たり前なんだからどうだっていいじゃあないかぐらいに思っていたが、いなくなると心が埋まらなくってしかたがない。空いた胸がどうにもならなくて、だけれどその胸を埋められるのはマキハだけなのだ。でも無理に会うことを強いるのは傲慢だし、前にそういった動きを取った時、周りから凄く気持ちの悪いひとだと罵られた。僕がどれほど苦しんでいて、後悔していて、懸命な思いで行動を取っているのかなどは、端からすればどうだっていいことで、すがる姿は気味が悪く、おそろしいばかりのようだ。ひとの気持ちも知らないで。
そんなことで苦しむなかで、初めての恋だとか愛だったから知らなかったけれど、僕はどうにも一途な性格だったのだと気づいた。ルキと遊びに耽ったりなどはあったものの、それで満たされなかったのはそういう本質があったからなのだと、ようやっとに気がついたのだ。だいたいそうことはハッとして気づくものだから、気づいた時には手遅れなのが多いものだと感じる。
段々と心が弱っていくのを感じていて、でもどうしようもないと思っていたら、何だか頑張ることも億劫に感じてきて、建築にもぬかりが浮かぶようになってきた。親方にもがっかりしたと言われ、同僚からも情けないと信頼を損なう。
僕は凄くなってたわけじゃあなかった。
マキハが僕をなんだか凄くしてくれていたのだ。
ルキに対する自責の念だとかも重なって、もう生きていくこともしかたがないと落ちぶれていたころ、親方が気を利かせて酒の席を取ってくれた。
「事情は知っている。だがお前は阿呆だ」
「そうですね。後悔しても、取り返しがつかないです」
「そこが阿呆だと言っているんだ」
掌底を頬にがっつりと浴びて、僕がきょとんとするなか親方は続けた。
「左の道に詰まったら、右を見らんかい!」
「僕は左がいいんです。左じゃないと駄目だったんです」
「右に進まんでそんなことがわかるのか。お前が言ってるのはわがままばかりだ」
「…………」
「頑張らずにもう駄目だとか、格好わるいことを言うんじゃないさ。40歳になりゃどうせ死ぬんだぞ。んなら死ぬまで頑張ってから駄目でしたって言うてみ」
そんなのは当然なことなのに、なんだか涙がとまらなかった。
「泣くほどのことか。それで駄目だったら笑えばいい。そういうもう駄目だってのは、頑張ってるうちにどこかで忘れる。それまで頑張れ」
誰かに言ってほしかったのかもしれない。駄目じゃないだとか、頑張れだとか、言葉ばかりで何の解決にもならないことを、しこたまにぶつけてほしかったのかもしれない。
ただ、僕はそれでも左がいいと思った。だから左をまっすぐ進むのが無理なら、ぐるっとひたすらに大きく回って、左を進みたいと考えた。それが望んでいた左の道に繋がらなくとも、左がいいんだから、それっきゃないってことなのだ。
素直に迂回すればいいものを我ながら馬鹿みたいだと思ったが、そういう性格なんだからしかたがないのだ。僕は凄くなるだとかの前に、僕らしくありたいから。
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