被災地の一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。
去年の今日、あの揺れは、被災地のみならず、経済的に、心理的に、日本を大きく揺らしました。その時私は学校の3階の音楽室。あんなことが起ころうとは、夢にも思っていませんでした。しかしその時、蛍光灯が動き、扇風機のひもが激しく揺れ、譜面台が倒れました。私は誰よりも先に、「地震だ」と叫びました。怖くて、泣きたかったです。
東京西部には山が多く、地鳴りがとても大きかったです。轟音と激震に怯えながら、クラスメートは揺れの収まりを待っていました。
その後、私達は学校から帰りました。幸い、電柱が傾いていただけで、特に被害はありませんでした。家では母がテレビを見て、唖然としていました。テレビのアナウンスが伝えている通りの地獄絵図がありました。私は、母と一緒に唖然としていました。同時に、私は、日本でとんでもないことが起こっていることに気づきました。
……私はあの時を忘れません。あれほどショッキングで、痛々しいことを、中学生のうちに経験したのです。もっと幼くして経験した方もいらっしゃいましょう。私は悲しくなりました。今でも思い出すと悲しいです。
しかし、広場民の反応はひどかったのです。ご存知の方もいらっしゃると思います。そんなことが許されましょうか。私は、とんでもないことが起こっていることを棚に上げる彼らを許すことはできませんでした。するはずもありませんでした。
先日の記事に、その日のことを語ったものがありました。しかし、その記事に対するコメントは、「はいはい、よかったですね」。私は正直に、その人に「氏ね」と言いました。ひどい暴言ですが、これが私です。
続く
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