どうもこんにちは。みやるです。
タイトルで何となく分かるでしょうが、少し真剣な話をしようかなー、などと考えておりまして。
ほら、今日は長崎に原爆落ちた日ですしね。あ、関係ないですか?
まぁ、というわけなので、以下は真剣です。マジレス、てやつです。
ニュースとかで、差別のせいで自殺した生徒って割りと見ますよね。
そのことで、親が教師に責任を追及したり、教師に謝らせたり。
それっておかしいって私、思うんですよ。
だって普段は、学校での息子は、娘は、と関心を持たない親じゃないですか。
「死ぬ前にどうして頼ってくれなかった」
「助けを求めれば助けられたかもしれないのに」
なのに、親というのはこういうことを悔やみながら言うんです。
もしそういうことを本気で思っているのなら、タチの悪い冗談だと、私は思います。
彼らが自殺を図るのは、普段からの親たちの、あるいは教師達周りの大人の態度ではないでしょうか?
普段は素っ気無いのに、愛する子供が自殺してようやく泣くのですか?
普段は感心を持たないのに、子供が自殺したら教師に責任を追及するのですか?
全く、反吐が出る話です。
差別をするのが、差別をする者が、最も悪いのでしょう。
でも、だからと言って何も知らなかった親の自分は悪くないなどと、どうして言えるのですか?
ちゃんと子供と話をしていますか?
ちゃんと子供を見ていますか?
ちゃんと子供に頼られていますか?
ちゃんと子供と向き合っていますか?
悔やむのは、自分が非力だからじゃなく、子供に頼られなかったことですか?
「どうして頼ってくれなかったのか」と、子供にまで責任を転嫁するのですか?
親ってそんなに、自分は悪くないと思っているんですか?
だと言うなら、ふざけるのも大概にしてもらいたい。
何でも相談してくれるような間柄になろうと思わずして、何が「教師の責任」なのでしょうか。
差別があるかもしれないと思ったときだけ優しくしたって。
もうその時点で、手遅れなんですよ。
差別で自殺する生徒は、まさしく『頼れる人がいない』のです。
親であるみなさんは、もう少しそういうことを理解してほしいものです。
ある歌で、こんな歌詞があります。
『泣きたければ泣けばいい。叫びたければ叫べばいい』
泣きたくても背中をさすってくれる相手を知らないなら泣いても虚しいだけですよね。
叫びたくても胸をかしてくれる人がいなかったら思いは何にもぶつけられませんもんね。
まぁ所詮、思いのままに語っただけなんですけどね。
読み返してみたら、親ってちゃんと子供と接しようとしてるんじゃないのかって、何となく自分の意見に不安を抱いてしまいましたので消す気になる前に投稿を。
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