「狩斗君、月子、ご苦労様」
智紀(とものり)はソファーから立ち上がり、二人と握手と交わした。
武神組。ここ数年で急成長を遂げた関東でも有数の極道である。この急成長の立役者こそ、組長の息子であり深遠鬼謀の参謀である智紀と、智紀の妹である狙撃の名手、月子。そして月子の婚約者で特攻の鬼と呼ばれる狩斗(かりと)の3人であった。
「本当によくやってくれた、武神組の次の組長は狩斗かもしれないな」
「冗談は止してください、義兄さん。僕にそんな野心はありませんよ」
生真面目な狩斗は慌てて弁明する。そんな様子を嬉しそうに眺める月子。こんな稼業に似つかわしくなく二人は大切に愛を育んでいた。二人にとって地位など何の価値もなかった。笑って過ごせれば二人はそれだけで幸せだったのだ。しかし二人の名声が高まれば高まるほど智紀の心に巣食う闇は大きくなっていくのであった。
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「フォックスが現れた。どうやら獲物は月子らしい。兄として頼む。月子を守ってやってくれ」
智紀は涙ながらに狩斗に頭を下げた。世界最強の殺し屋フォックス。狙った獲物は100%仕留めることで裏の世界で知らぬ者はいない。智紀の話では敵対する金剛組がフォックスを雇い武神組の要である月子の抹殺を依頼したようだ。確かに月子を失えば武神組の求心力は一気に衰えるだろう。
「義兄さん、月子は俺の最愛の人だ。全力で守って見せる。約束するよ」
狩斗は死を覚悟し、金剛組とフォックスの会見場所である埠頭に停泊中の客船に乗り込んだ。23時に甲板で行われる会見。狩斗は息を潜め、フォックスが現れるのを待った。
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「月子、落ち着いて聞いてくれ。殺し屋のフォックスが狩斗君を狙っている。狩斗君を助けるにはお前の力が必要だ。頼む手を貸してくれ」
動揺を隠せない月子であったが自分の力で最愛の狩斗を救えるならと兄、智紀の作戦に耳を傾けた。場所は埠頭に停泊中の客船。周囲は金剛組が厳重に警戒しているため潜入は不可能である。しかし事前に船員を一人味方につけており、この船員がフォックスの居場所を智紀に知らせる手筈となっている。そして月子の遠距離ライフルでフォックスを狙う。作戦は単純だが実行は容易ではなかった。金剛組の包囲網の外からの狙撃。そして夜の暗闇と海風。名手と呼ばれる月子であっても一か八かの賭けであった。
「兄さん、大丈夫よ。私、絶対に成功させてみせるわ」
月子は愛する狩斗を守るため、埠頭に向かった。
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「月子聞こえるか」
「えぇ兄さん、聞こえているわ」
「船員から連絡があった。スコープで確認してくれ。左から3つ目のコンテナだ」
「見える。顔までは確認できないけど一人、コンテナの横に立っているわ」
「そうだ、奴がフォックスだ。あとはお前の腕に掛かっている。頼むぞ」
無線が切れた。標的まではおよそ8000フィート。並みの人間では標的に当てることさえ困難である。だけど失敗は許されない。失敗すればフォックスの牙が狩斗を襲うことになる。月子は狩斗の笑顔を思い浮かべ気持ちを静めた。そして照準を合わせて一気に引き金を引いた。弾丸は標的の頭部に吸い込まれていき、数秒後、相手は両膝を打ち、その場に崩れ落ちた。
その瞬間、月子は最愛の人を失った。
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古代ギリシャ神話。
狩人であるオリオンと月の女神アルテミスは愛を誓い合う仲であった。
しかしそれを快く思わない者がいた。アルテミスの兄、アポロンである。ある日アポロンは妹アルテミスを海に連れ出した。そして遥か沖に見える獣をアルテミスに射ってくれないかと頼んだ。弓の名手であるアルテミスは兄の願いを受け入れ、沖の獣を目掛けて矢を放った。だが獣だと思っていたものは、アルテミスの最愛の人である狩人オリオンであった。オリオンはアルテミスの矢で命を落とした。事実を知り泣き崩れるアルテミスの姿を見た全知全能の神ゼウスはオリオンを星座に変え、夜空に上げたという。いつでも愛する月の側にいられるようにと。
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