遅めの朝食。キッチンには入れたばかりのコーヒの香りが漂っていた。
もう高山には着いただろうか。高校時代からの親友である原田美樹との3泊4日のドライブ旅行。遠足前日の小学生のように落ち着かない一昨日の千佳の姿を思い出す。
慌てた姿、はにかんだ笑顔や手の温もり、些細な動作一つ一つの全てが愛おしい。
江の島大橋。5年前のあの日、僕たちは無言で見つめあっていた。互いに紹介など必要としない。目の前の相手が運命の人であることを全身の細胞が知らせていた。「運命の手紙」が結んだ不思議な縁。僕と千佳はそれを大切に育んできた。そしてそれは永遠に色褪ることはないだろう。
新聞受けから朝刊を取り出す。その時、一通の白い封筒が床に落ちた。宛先は斎藤祐樹。僕だ。裏返して差出人を見ると山川優子と書かれていた。リビングに戻り、テレビを点ける。天井に上るコーヒの湯気を眺めながら、ぼんやりと記憶を遡ってみたが思い当たる人物は思い浮かばなかった。いったい山川優子とは誰だろう。
急ぎ朝食を終え、皿を洗う。そしてソファーに腰を落とし、封筒の封を慎重に開けた。中身は便箋1枚だけ。恐る恐る便箋を広げ、手紙を読んだ。最初の1行が目に入った途端、体が震えた。見覚えのある書き出し。紛れもなく”あの手紙”だ。
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運命の人へ
長野県在住の山川優子と申します。今日は2019年2月9日。
今、私は運命の人など存在しないことを確かめるために、この手紙を書いています。
なぜなら私の運命の人は、もうこの世にいないから。
3年前の今日、恋人を事故で失いました。私にとって掛け替えのない運命の人です。いえ、運命の人でした。頑張って立ち直る努力もしましたが、もう疲れました。
太陽が無ければ人は生きてはいけないように、彼が私の太陽だったのです。
奈々子は無責任に新たな出会いがあると言うけれど、
信也の他に愛すべき人など存在するはずが無いのです。
それを証明するために、この手紙を出すことにします。
そして来年の今日、それを確かめてから信也の下に旅立ちます。
お父さん、お母さん、そして奈々子。今までありがとう。
そして、さようなら。
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なんて悲痛な手紙なのだろう。遺書のようだ。あらためて封筒を見た。
市販されていない懐かしいあの切手が、「運命の手紙」であることを証明していた。
「運命の手紙」を出す人がどのくらいいるか分からないけど、
皆一様に希望を込めて出しているものだと思っていた。それだけにショックは大きかった。
壁に掛かったカレンダに目をやる。今日は2016年2月9日。
3年後の今日、この手紙は書かれ投函されたことになる。
さらに1年後の2020年2月9日に彼女は自ら命を絶ってしまうのだろうか。
もし今から4年以内に彼女を見つけ、説得出来れば運命を変えられるのか。
すっかり冷めてしまったコーヒを啜りながら手紙を読み返す。
まてよ、そもそもなぜ僕に「運命の手紙」が届いたのか。
彼女の運命の人が僕だとでも言うのか。そんなことはありえない。
5年前に僕が書いた運命の手紙は間違いなく千佳に届いた。僕の運命の人は千佳であって、
山川優子ではない。であればなぜ、この手紙が僕に・・・。
運命の人が二人いるとでも言うのか。それこそ在りえない。
なぜだ、なぜだ・・・無意識にリビングを歩き回っていた。
落ち着いて整理してみよう。そう自分に言い聞かせる。僕にとって運命の人は千佳、ただ一人。これは命ある限り、絶対に変わることはない。
ドクン・・・
心臓が高鳴った。鼓動が早くなる。そして頭の中で警鐘が鳴り響く。
これ以上考えてはいけないと。だけど、もう止められない。
・・・命ある限り?
・・・ではどちらかの命が尽きたときは?
背中に冷たい汗を感じたとき、テレビのボリュームが急に大きくなった。
「速報です。長野県松本市から岐阜県高山市をつなぐ安房峠で車20台以上を巻き込んだ多重衝突事故が発生した模様です。死傷者も多数出ており現場は混乱の渦中に・・・」
車?高山?事故?
嫌な予感が僕を包んでいた。
(おわり)
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