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　ゴンゴンッ。
「はいー？」
　ふいに家のドアを叩く音に、流し台で洗い物をしていたフリードは濡れ手を拭いた。家主ではない男は対応する訳にもいかず、顔を向けるだけだ。フリードはドアへぱたぱたと走り寄り、男はチェスのルールブックへ再び目を落とす。
　ドアを開けると、そこにはまだ幼さの残る人間の少年が立っていた。
「こんにちは！」
「ああキミか、いらっしゃ──」

「ねぇねぇ女の人連れ込んだってホント！？」

「…………ウン？」
　藪から棒にとんでもない事を言われ、フリードは固まる。しかし、少年はパッと目を輝かせて彼に詰め寄った。
「今ウンって言った！？　ねぇ今なかにその人いるの！？」
「いや、今のはそういう意味じゃあ……」
「あ、あの人！？」
「ちょ……！」
　フリードの脇から家の中を覗き込んだ少年は男を見つけ、ずかずかと上がり込む。
　男は一体何事かと真っ直ぐ近寄ってきた少年に身構えるが、少年は男の顔を今一度見てキョトンとした。
「あれ？　男の人じゃん……」
　少年は男が目的の人物ではないと判断するや否や、膨れっ面で背後のフリードへと振り返る。
「フリードお兄ちゃん、女の人はー！？」
　叫ばれたフリードは、頭を抱えて少年に問う。
「えーっと……とりあえずその話はどこから聞いたのかな……？」
「えー？　だってみんなが『あのフリードが髪の長い人を連れ回して、家に入れるのも見た』って」
「女の人の要素はどこから？」
「『髪が長いから、たぶん女だろう』って」
「ああそう……」
　噂というものはこの短い間に人の性別まで変えてしまうのかと、やるせなくなるフリード。お腹が空いていたからと足早に帰ったのも不味かったのかと後悔する。
「……たぶん、その話の中に出てきた女の人って、その人だと思うよ」
「えー……？」
　少年は残念そうに男をまた見る。男は自分が話題の中心にいるのに置いてけぼりをくらっており、どうしたらいいのかわからず少年の視線を見つめ返すだけだ。
　じーっと腑に落ちない顔で男を見る少年、困惑の表情で返す男。フリードは苦笑いで。
「ごめんね、その子近所の子で、よく遊びに来てるんだけどさ……」
「はぁ……」
　ようやく発する事のできた男の声に、「うっわ声低っ」と驚きに顔を歪ませる少年。
「ま、まぁそういう事にしといてあげるよ、でもさだったらねぇお兄ちゃん」
「わ、私か？」
「うんお兄ちゃんて旅人さん？　それともぎょうしょうにんてやつ？　あ、もしかしてヨーヘイとか！？　何しに来たの？　お名前は？」
「え、えっと……」
　少年にいきなり捲し立てられた男は戸惑う。その光景に、フリードは渋い顔付きで横槍を入れた。
「ほらほら、そのお兄さん困ってるからその辺にして」
「えー？　その辺も何もまだ一個も聞けてないんだけど」
「そうだけど、どうせまたお母さんに内緒で来たんじゃないの？」
「むー」
　図星なようで無言になり、またも頬を膨らませる。少年はじゃあさ、と勢い良くと男に向き直ると、前のめりに詰め寄った。
「せめてお名前教えてよ！」
「その……悪いが、私には名前が……」
「……え？」
　少年の勢いが止まり、微妙な空気が流れる。
「またまたー！　そんな冗談でごまかそうとしてもそうはいかない！」
「いや……」
「……え、まさか本当にお名前が無いの……？」
「…………」
「あのねぇ」
　男の無言に被せて、フリードが今度はしっかり言い聞かせるように、語気を強めて少年をたしなめる。
「いつも言ってるだろう？　人もドラゴンも動物も、そんなに急に近寄ったら警戒されるよって」
「え……もしかしてボク警戒されてるの！？」
「まぁそりゃあ……」
　少年は信じられないとばかりに、フリードと男の顔を何度も見比べた。結果、どちらも実はからかってただけでしたなんて言えない顔をしていて。
　暫し腕を組んでウーンと唸ると、少年は決意の表情を上げた。
「わかった！　悪かったごめんね！　まだ町にいるなら、また今度お話してね！」
「あ、あぁ……」
「それじゃフリードお兄ちゃん、ボク帰るね、バイバイ！」
「うん、バイバイ」
　男に謝ったかと思えば約束を取り付けて、約束を取り付けたと思えば手を残像が見えるほど勢い良く振って家から出ていく少年。フリードも手を振り返したが、恐らくそれは見えてはいない。ドアがバタンッと荒っぽく閉まると、一気に空間は静まり返った。
　フリードはふぅ、と一息をつく。
「まったくもう……騒がしくてごめんね」
「ああ、まるで嵐だ……」
「そうだね」
　ハハッとフリードも半笑い。